ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

漱石とロシアの世紀末文学―「それから」の周辺―しかし、ここでは、藤井氏にここで敢えて反旗を翻すというつもりであるわけではないのですが、「それから」に対するアンドレーエフの影響というものを考えるとき、もう少し視野を広くとって、敢えて〈影響〉ということを広く浅く考えてみたいと思います。今回配布している要旨には、「それでも「それから」や「彼岸過迄」にロシア文学の影がにじむ」という表現をいたしました。ロシア文学の影、というのは、藤井さんの著書のタイトル「ロシアの影」にリスペクトの思いを込めたものなのですが、アンドレーエフの影響を、影響の影の字、すなわち「影」といったイメージで捉えてみたいのです。それは、冒頭に見ていただいた森田芳光監督の映画のあのシーンが、映画で象徴的に使われていて、映画全体の雰囲気を作り上げているのと平行した、そういうイメージとしてのことなのです。二葉亭の帰朝後の文学活動とロシア世紀末文学さきほど、その映画のシーンにかかわって、二葉亭訳のアンドレーエフ作品「血笑記」の一節を紹介しました。この作品は、作品全体が、さきほど紹介したような雰囲気の描写に満ちており、とくに特徴的なのは、できごとがすべて、身体感覚――視覚、聴覚、嗅覚、触覚によって表現される断篇の積み重ねという形式を取っていることです。じつはこの作品は、作者アンドレーエフによって、日露戦争が舞台として想定されているものです。戦場が舞台となっている文学作品ではありますが、戦況や戦術といったものとはまったく縁のない、戦場での人間の不条理な「死」の立ち現われ方の実際のところを暴露している――全篇がそういうトーンによって成り立っている作品です。じつは二葉亭は、まさにそれと同じような――アンドレーエフのような極彩色ではないのですが――同じトーンを持つロシア文学作品を翻訳して発表しています。それは、日露戦争の開戦後半年、1904年7月に発表された『軍事小説つゝを枕』というもので、原作はトルストイ、もとのタイトルは「伐採(≪Рубкалеса≫)」というものです。これはトルストイが露土戦争を舞台として書いた初期の小説(1855年発表)で、「軍事小説」という角書にはふさわしくない、巻頭言に謳われている「英爽豪邁」なる勇気の発露どころか、むしろ戦争での《死》の立ち現われ方の実際のところを暴露しているため、読む者(国民)の士気を鼓舞するよりは、その逆の効果を生むかも知れない、あきらかに厭戦的な気分を誘うしかない内容のもので、そんな小説を、いよいよロシアとの戦争が激しくなり、好戦的な世論が最高潮となっている時期に――それも敵国のロシアの小説なのですが――それを二葉亭は翻訳して発表しています。これは二葉亭が日露戦争開戦の半年前に北京から引き上げてきて以降、日露戦争の開戦とほぼ同時に開始されたかたちになる、二葉亭の第3期(後期/帰朝後)の文学活動のなかで、2番目に当たる翻訳作品です。19世紀ロシア文学全体を視野に入れているはずの二葉亭のロシア文学翻訳活動の実際を、とくにこの第3期の活動内容を見ますと、決して啓蒙的なものではなく、有名作家の代表作の翻訳がほとんど無いことに気がつきます。するとそこでは、翻訳作品の選択――どんな作品を選んで訳したのか――ということが問題となります。「文学は男子一生の事業にあらず」としていた二葉亭は、大陸での事業のほか、つねに哲学・心理学研究を心がけていましたが、昨年ミネルヴァ書房から出版されたヨコタ村上孝之さんによる評伝(8)では、二葉亭が、ジェームズ・サリー、アレクサンダー・ベイン、ヘンリー・モーヅレーなどの当時の心理学者の著書を、どの程度読みこなしていたのかについて、それら文献と二葉亭の著述や書き残したメモと具体的に比較して検討が行なわれています。ここで指摘したいのは、そうした心理学的な研究と連動して、人間の存立の究極の基盤としての《意識》ということが、二葉亭の最大の関心事となり、それを脅かす《死・狂気》に対する《不安・恐怖》の描写ということが文学上の問題として、厖大な19世紀ロシア文学の作品のなかから翻訳対象とする作品の選択に働いているということが言えます。そこで選ばれているのは、ゴーゴリであり、ガルシンであり、そしてゴーリキイの、初期の短篇群なのです。すなわち、これらの作品は、〈死あるいは狂気に対する恐怖からくる不安神経の実感の描写〉を共通のテーマとしており、二葉亭はとくに翻訳にたずさ405