ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

広場あるいは<神の死>の劇場―ジョルジュ・バタイユ「オベリスク」読解―の混合物である」が、この観念は同時に自らの対立物として「死を拒絶するものを破壊し、時間を獲得すると共に神を押し付けてくる掟を打破せんとする思考の運動」をも示してしまうのである(30)。かくしてバタイユが展開してきた「対立の思考」はここに到って、「流転するもの」を「不変のもの」へと回収しようとする弁証法的な立場と、それを打ち破ろうとする立場との対立へと導かれる。前者の立場を象徴する哲学者がヘーゲルであるとすれば当然、後者の立場にある思想家としてバタイユが持ち出すのはニーチェということになる。次節ではこのヘーゲルとニーチェの対立構図を確認することにしよう。1-3.ヘーゲルとニーチェこの「オベリスク」という論考はその錯綜した論理や複雑な両義性を帯びた性格のために、バタイユの思想的立場をニーチェに引き付ける立場とヘーゲルに引き付ける立場のいずれをも補強しうる奇妙なテクストである(31)。論考そのものは最終的に、コンコルド広場に立つオベリスクに、ニーチェが『悦ばしき智慧』で神の死を宣告させた「狂気の人間」が白昼から灯しているランタンの光を投げかけることで、そこがフランス革命において王を処刑した断頭台の置かれた場所であったことが開示されることで終わる(32)。その後さらに迷宮ラビュリントスに挑むテセウスにニーチェを擬する断章が置かれる(33)ことからも、「オベリスク」という論考はよりニーチェよりの思想を展開したもののように見える。またわれわれがこの論考におけるバタイユの思考の展開を「ヴィジョンの思考」と呼んだのも、そもそもバタイユがヘラクレイトスにとっての「時間」、またニーチェにとっての「永劫回帰」や「神の死」がヴィジョンとしてあらわれたと記述していることに拠るものであった(34)。しかし、前節で辿った「不変のもの」と「流転するもの」をめぐる思考がきわめて錯綜した論理展開のもとで進展していたことからもわかるように、バタイユはあくまでヘーゲルを一度くぐり抜けた上で、ともすればヘーゲル的な弁証法の立場へと「止揚」されかかりながらも、危ういところで辛うじてニーチェの立場に近付いている。このことについてバタイユ自身が用いた印象深い比喩を引用しておこう。他の哲学者たちの思想形成に対しても同じことが言えるのだが、ニーチェとヘーゲルはちょうど、貝の殻を砕く鳥と、砕かれた貝の中身を幸福に啜る鳥のようなものなのである。(35)ここで貝の殻という「不変のもの」を打破して、流動体すなわち「流転するもの」としての中身を流れ出させるニーチェの立場は、すぐにその中身を再び「不変のもの」へと再回収してしまうヘーゲルの立場に脅かされている。オベリスクが「不変のもの」と「流転するもの」の狭間で揺れ動くきわめて両義的な性格を与えられていたように、ここでバタイユはヘーゲルとニーチェという二羽の鳥に挟まれて、絶えず「不変のもの」と「流転するもの」との間を行き交う貝の立場にある、と言うことができるかも知れない。そしてまたわれわれも、この二羽の鳥の間でしばし揺れ動くことになる。まず続く第二章でわれわれは、ドゥニ・オリエなどを導きの糸としながら、ヘーゲルのオベリスク論やピラミッド論といった「建築論」がいかにしてバタイユに影響を及ぼしつつ、同時にバタイユによって変容させられていったかを追うことになる。そして第三章ではオベリスク、そしてコンコルド広場がヘーゲル的な建築観を離れることで、ニーチェの所謂「神の死」の舞台へと変貌を遂げていくさまと、その思想的な意義を確認することになるだろう。2.建築の両義性または「天空への墜落」2-1.バタイユのピラミッド観ここでわれわれは一旦「オベリスク」というテクストから離れ、まずヘーゲルによるピラミッド論およびオベリスク論をごく簡単に確認したのち、バタイユのその他の著作に見られるピラミッドへの言及を整理し、そこにヘーゲルの影響がいかなるかたちであらわれているか、あるいはヘーゲル的な建築観がいかにしてバタイユ流に変容させられているかを検討することにしよう。ヘーゲルの美学体系にあって建築は、それ自体で独立したものとして存在する彫刻に近い「象徴的建築」から、住居という手段としての側面を強めた「古典的建築」を経て、居住という目的を保持しつつもそれとは独立した造形をもつ――たとえばゴシック様式の大伽藍が居住性とは別にひたすら高さ67