ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

イザドラ・ダンカンの初期舞踊形成・公演活動について-アメリカでの活動を中心に-は、この子供時代の自由な生活があったからこそ得ることができたからだ。(17)イザドラは波、風、木の葉のそよぐ音などの自然と親しむことから、想像力豊かな子供となり、自らのダンスの着想を得るまでになった。さらに、時々家にやってきた母方の祖母がリールやジーグを踊り、また叔母のオーガスタが得意の芝居を実演して見せるなど、家の中は音楽と詩や芝居で満ち溢れていた。おそらくイザドラにとって最初に観て覚えたダンスは、祖母が踊る民族舞踊だったのではないだろうか。実際、ダンカン舞踊のグループダンスには円を作って回るところや、2人が組になって手をつないで回転する動きがあるが、これらは祖母の民族舞踊の一部に起因していると考えられる。一方、清教徒的精神の強い名家に育ち女優になる夢を実現できなかった叔母を身近にみて(18)、イザドラは才能ある叔母が舞台に立てない当時の偏見に満ちた社会や状況に対し疑問を抱くようになった。1884年頃から、ダンカン一家は家計の足しになるように近隣の裕福な子供達のために裁縫や演劇のクラスを設け、授業料を課していた(19)。このように、子供達に様々なクラスを提供することができたのは、母親が名家の生まれで質の高い教養を身に付けていたためであった。イザドラの親友フローレンス・トレッドウェルもイザドラの家を頻繁に訪れ、シェイクスピアの寸劇を演じたり、ダンスを共に踊っていたことを自身の娘に話している(20)。イザドラは当時住んでいた家(21)について「父は私たちに広いダンス室とテニスコート、それに納屋と風車のついた美しい家をプレゼントしてくれた(22)」と自伝に記している。図1はその邸宅の前で撮影された写真であり、左端に母親のドラ、そして生徒たちの中にはイザドラ、レイモンド、エリザベスがいる。幼少期、祖母と叔母の影響を得て踊っていたイザドラは、モスバウムというダンス教師から本格的にダンスを学んでいた(23)。レイモンドの覚書によると、モスバウムは週に1度イザドラの家を訪問し、母ドラのピアノ伴奏(24)に合わせて、ステップやポルカ、スコティッュ、マルゲラン(ワルツ) (25)を燕尾服の裾を持ち上げて教えていたようである。イザドラは教師の卓越した教えの中で、後にとりわけ彼女の舞踊システムの鍵となるワルツ(26)に関心を寄せていた。実際、一緒に舞踊教育を受けていたレイモンドは以下のように記している。私たちにとって最も興味があり、また時々わからなかったのは、ワルツ(27)を始める前に一列に立って前方にそして後方に飛ぶことだった。これらの飛ぶ動きがそれぞれのアクセントになり身体を投げることを表すということを発見するまでには数年かかり、続く動きは、平衡のための自然な振動だった。〔中略〕この踊り(ワルツ)が後にイザドラとエリザベスの舞踊システムの鍵になった。〔中略〕教師のモスバウムは非常に洗練されたテクニックでメヌエットとガヴォットも教え、ワルツを除けば、これらは非常に容易に習得できた(28)。しかし、音楽のリズムについて母ドラとモスバウムの意見の相違から、モスバウムの訪問がなくなると、その後はエリザベスがダンス教師を務めることになった(29)。レイモンドは「ダンカン一家は舞踊学校の発表会をいくつか観て、ファンシー・ダンス(30)と呼ばれている踊りの目立つ部分を採用した(31)」と記述し、その一例として、少女が網のようなヴェールを持ち、少年がラケットを持って動く『テニス・ダンス』を挙げ、エリザベスのお気に入りの作品の1つであったとしている。さらに、この踊りをイザドラが蝶の網を手に持って、蝶々を追いかけるという動きを『蝶々』の踊りとして発展させ、これがイザドラの最初の創作となったと見做している。このようなイザドラとエリザベスのクラスが暫く続いた後、デルサルト・システム(32)図1.オークランドの家の前で:白枠内、左前から右へ時計回りに母ドラ、エリザベス、レイモンド、イザドラを学ぶことが2人の舞踊の概念を広げることに繋がり、一時期77