美術史学の誕生には紆余曲折があり、美術史学史もまたひとつの学問領域として成立しうるほど複雑なものです。一般的には、ヴァザーリ的な芸術家の天才性を讃える列伝的アプローチを離れ、学問として芸術作品を扱う芸術学は、18世紀ドイツのヴィンケルマン周辺に始まると言われています。
その中で、絵画、彫刻、工芸など視覚的創造物を研究対象として扱う美術史学は、1875年に独立した研究所としてフンボルト大学に初めて設立されました。
独自の方法論を持つひとつの学問領域としてようやく公に認められたのです。
その後、ウィーン学派によって美術史学の講義は整備され、机上での勉学と、実際に収蔵品を使っての演習とを抱き合わせた授業のスタイルが考案され、定着していきました。
日本においても明治時代に西洋的な美術史が取り入れられる以前から、美術作品を学問的に嗜む気風がありました。
書画を持ち寄り、酒を飲みながら作品について語り合う青画会や、収集した古物を持ちよって皆で研究することにより、先人の遺物を歴史的に把握する試みとしての耽奇会があげられます。
また没した芸術家の法事周忌にあわせ、現在でいう回顧展のような催しを開いたりなどしていました。
『光琳百図』(図3)とは尾形光琳の没後100周年を記念して酒井抱一が制作した図譜です。
抱一は光琳の作品を一堂に集め、それらを縮写し出版したのです。現代で言う展覧会カタログのようなものが既に江戸時代にあったのは驚きですね。
オリジナルの作品を心で愛でつつ知的に整理する「情理」という概念が既に江戸時代に存在していたことも、日本人として忘れてはいけないことです。
以上の文章を読み、少しでも美術史学に関心をもっていただけたら幸いです。
今回は作品研究の手順について軽くふれましたが、
実際にある絵画作品を分析してみましょう。
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