会員消息

会員相互の交流や情報交換に資するように、『美術史研究』には「会員消息」欄を設けています。近況などを毎年11月9日までに、二〇〇字以内のメールでお送りくだされば、できるだけ掲載させていただきます。ご氏名とご所属やご職業等をあわせてお知らせください。

メール送付先・連絡先:waseda.bijutsushi@gmail.com

第60冊(2022年度) ※寄稿者名 五十音順

東洋美術史のOGの易丹韵です。今年の八月に母国の中国に帰国して考古学専門の研究所に赴任しました。仏教の石窟寺院を研究する部署に所属することになりましたが、考古的発掘に必要な技術・知識も身につけるべく、前漢~北魏時代の洛陽城遺跡の発掘現場に派遣されました。毎日遺跡を掘るという作業に励んでおり、美術作品の調査研究との違いを身をもって感じています。充実した新人研修生活を送っているので、とても満足です。(易 丹韵 中国社会科学院考古研究所)

福島県白河市の小さな館に勤め、十年になります。初めの頃は、震災で崩れたお城の石垣が修復されるさまを隣で見ながら勤務していました。いわゆる優品に触れる機会は多くありませんが、地域や家に伝わる作品にじかに接し、美術というものが一般の人たちとどう関わってきたかを目の前に感じるのは、なかなか得難い経験だと思います。近年、各地の館で収蔵資料のデータベース化や公開が促進されています(弊館も準備作業をしています)。地方で埋もれた作品に、今後少しでも多くの研究者が注目して下さることを願っています。(小野 英二 白河市歴史民俗資料館)

二〇二二年三月末に、三十五年間務めました昭和女子大学を定年退職いたしました。四月からは特任教授となり週二日程度授業するだけののんびりとした生活を送っていますが、テンプル大学日本校との合同授業や美術館学芸員との交流などで刺激を受けております。コロナ禍でこの三年間スペインに渡航することが叶わないままでしたので、そろそろ現地の研究者や画家たちと旧交を温めたいと考えているところです。(木下 亮 元昭和女子大学教授)

七月に〝数え年〟での米寿をむかえたが、在学中の「美術科」の同級生で、どれだけが美術と深い関りを持って生きて来たか知らないが(奥村秀雄はそんな一人だろう)、小生は幸いにも新聞記者として京都での美術担当や、文化事業部門のデスクとして関係を持ち続け、その縁で海外陶芸展の審査員を務めたり、定年後も二〇〇八年以来、パリ、ハノイ、ボストンで「京都工芸の精華」と言う展覧会を開催し、KOGEIと言う言葉を初めて世界に発信出来たのは幸いだった。(塚本 樹 「作家集団・工芸京都」同人・事務局長)

奈良県天理市にオープンした「なら歴史芸術文化村」に勤め始めて十ヶ月が経ちました。私が勤務する文化財修復・展示棟では、文化財四分野(仏像等彫刻、絵画・書跡等、歴史的建造物、考古遺物)の修復工房を公開し、奈良の歴史文化に関する展示も開催しています。新しい施設の開館、運営に携わるなかで、十ヶ月のできごととは思えないほど多くの経験や出会いを得ました。より魅力的な施設に育つよう前進していきたいと思います。(萩谷 みどり なら歴史芸術文化村)

二〇二二年の春に徳島市立徳島城博物館を退職し、現在は一般社団法人千總文化研究所に研究員として勤務しております。千總は京友禅の老舗ですが、染織品や絵画などの美術作品も所蔵しております。三条烏丸にあります本店内のギャラリーにて所蔵作品の展示も行っておりますので、京都観光のついでに是非一度お立ち寄りください。(林 春名 一般社団法人千總文化研究所)

二〇二〇年の四月より渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで勤務しています。今年は「ミロ展―日本を夢みて」と「イッタラ展 フィンランドガラスのきらめき」を担当しました。企画展運営が活動の主軸となっているため、展覧会ごとに様々なジャンルの作品と向き合う毎日です。二〇二三年四月には改修工事ため休館し、その間は他の施設で展覧会を不定期開催する予定となっています。今後数年はリニューアル後の美術館のあり方を模索することになりそうです。(吉川 貴子 Bunkamura ザ・ミュージアム)

二〇一一年に青森県庁に入庁後、二〇一六ー二〇一七年の二年間だけ学芸業務(近代洋画)に携わり、その後四年間は地域活性化、現在は県職員の給与制度を担当しています。七歳の長男、五歳の長女、三歳の次男、そして妻の五人家族で地元を満喫しています。個人として、親子のサードプレイスづくりや地域のオーラルヒストリーの収集、遊休不動産の利活用にも挑戦中です。(和山 大輔 青森県庁)

第59冊(2021年度)  ※寄稿者名 五十音順

博士課程在学時にイスタンブルに来てもう二十六年が経ちました。間にボストン、パリ、京都、ノースカロライナ、ローマなど挟みながら、ずっと拠点はイスタンブルです。現在は第二の母校イスタンブル工科大学で教鞭をとっています。かたわら、日本研究を目指すトルコの学生さんの助けとなるべく活動しています。研究や留学など、早稲田との繋がりが深められたらと願っています。また、トルコやイスラーム研究を志す日本の学生さんの受け入れにも協力できたらと希望しています。イスタンブルにお越しの際はぜひお声かけください。
毎月、ウェブマガジン「ほんのひととき」にフォトエッセイ「イスタンブル便り」を連載しています。あいまのひととき、覗いていただけたら幸いです。https://note.com/honno_hitotoki/m/maae6233745c8(青木 美由紀 イスタンブル工科大学)

十四年勤めた東京都写真美術館から、四月に東京都現代美術館へ異動しました。都現美は、修士二年の夏に学芸員として就職した最初の職場で、職権で美術図書室と館のレターヘッドをフル活用しつつ就業時間後に修論を書かせてもらっていました。未熟なまま現場に飛び込んではや幾年月。日々に追われ、思い描いていた学究の道からは随分逸れてしまった気がしますが、駆け出しの頃の志を思い起こし、また新たな気持ちで臨みたいと思います。(岡村 恵子 東京都現代美術館)

「創作物に触れることで、人は心の健康を保つ」、コロナ禍における漫画需要の高まりは、漫画家を志す私に、そんな強い実感を与えた。そして、創作物が心の栄養になるのは、創作者もまた同じだ。私がアシスタントした漫画が、多くの人々の目に触れ楽しませるのを見てきた。私の漫画が、読んでくれた人の心を少しでも動かせたと思えた瞬間があった。私が手を動かすことで、少しでも誰かの栄養になるなら、それこそが今の私の原動力だ。(菊地 紗恵子)

二〇二〇年の四月より、三重県立美術館で勤務しております。今夏はミケル・バルセロ展を担当しました。現在は自分の専門のスペイン美術を中心に、館蔵品調査を進めております。意外かもしれませんが、当館は「スペイン美術」を作品収集方針の一つに掲げている美術館で、ムリーリョをはじめ、様々なスペイン人作家達の作品を所蔵しております。今後、これらを積極的に展示していく予定なので、東海圏にお越しの際にはぜひお寄りください。(坂本 龍太 三重県立美術館)

二〇二一年四月から、女子美術大学に特任准教授として勤めています。作品を作る、というクリエイティブな熱をまとっている学生たちと過ごす日々は私にとってなかなか刺激的で、学生たちの豊かな感受性に触れ、自分の凝り固まった作品の見方をほぐしてもらっている気持ちで過ごしています。(楢山 満照 女子美術大学)

卒業後、雑誌編集を経由し、イラストを描く仕事をしています。在学中に研修で訪れた、室生寺や長谷寺で出会った如来や菩薩の、悠々と、ただ在る姿と奈良の風景は今でも鮮やかで、その後も仏像を好きな気持ちは育って行き…そしてあれから早二十年!? 縁あって、来春『仏像えほん』を出版することに。小さな白象と少年が仏像を旅するお話です。キッズと仏像の仲を取り持つべく絶賛作画中の今日この頃です。(店橋 花里)

広島の地に赴任して、早くも四年が経ちました。当館では、日本画、日本洋画、西洋美術、工芸と様々な分野の作品を所蔵しており、各分野の先輩方の豊富な知識や経験に刺激を受け、視野が広がっていく楽しさを感じています。私自身は西洋美術(両大戦間期)と、主に教育普及業務を担当しており、今年度、所蔵作品をマンガで紹介する冊子を作成しました。広島へお越しの際には、ぜひお隣の名勝・縮景園と合わせてお立ち寄りください。(森 万由子 広島県立美術館)

名古屋市栄の愛知県美術館に勤務して四年目を迎えました。入庁してすぐに企画した曽我蕭白の展覧会が無事に開幕し、多くの方々にお越しいただけて安心しております。コロナ禍での展覧会準備は気を使うことも多く、準備に追われながらの原稿執筆など苦労も絶えなかったですが、出来上がった図録や完成した展示を見ると達成感がありました。次の展覧会はもっといいものにしたいと今から楽しみです。(由良 濯 愛知県美術館)