La vie est très dure…. ああ無常!

さまざまな大学でそれこそ延べ一万人ほどの学生を教えてきた。さらに、この12年で360人あまりの学生たちをブドウ収穫隊に連れて行った。何人もの学生が君と親密になり影響を受けた。この旅をしたことで自分を見つめ、進路までも決め、ワインを造っている人もいれば、ワイン販売の会社や旅行会社に勤めたり、外国との交流に関係のある職についたりしている人も多数いる。さらに2001年からは春に『フランスお菓子&料理研修』を企画して、毎年10人以上の学生たちに同行している。合わせて500人近くの学生たちは君と出会ってかけがえのない時間を過ごしたことと思う。通夜と告別式に来た元収穫隊員と元お菓子研修隊員の人たちは、君とはしばらく会っていないのに身内を亡くしたように悲しんでいた。専任校があってゼミを担当しているわけでもない君がこれほど慕われていることは驚くべきことだと思う。

フランス語に気軽に親しんでもらおうという趣旨で、収穫隊に同行した4人で『ダジャ単、シル・ヴ・プレ』(駿河台出版社)という奇書を刊行した。君はことに乗り気だった。来年あたりに第2巻を出そうという話をしていたところだった。君と一緒にやるはずのことがまだまだあった。これからどうやって生きていいのかわからなくなりそうだ。君はまたフランス語の教科書と参考書を何冊も出した。出版社の話では毎年、多くの教員が採用していたそうだ。

君は、フランス語、フランス文化へ関心を持つ人がどんどん増えていくことを常に念頭に置いて仕事をしてた。君の作った教科書、参考書はそういったことに配慮したものばかり。専門のフロベールに関する論文だけでなく、『印象派絵画と文豪たち』『ビデの歴史』、さらには近刊予定の『フェティシズム大全』(仮題、橋本克己氏と共訳、作品社刊)などの翻訳でフランス文化をより近づきやすくしていた。君はこれからの日本のフランス語教育にはなくてはならない人だった。活字で教育論こそ唱えていなかったが、何よりも持論をしっかりと実践をしていた。

 

そんな忙しさの中でも、季節ごとの魚を求めて釣りに行ったり、ギターを習いに行ったり、小説を書いたりしていたのには驚かされた。働きすぎだったうえに、余暇も活動し過ぎだったのかもしれない。高校時代にサッカーで北海道代表になったほどの体力の持ち主だった君は、生き急いでしまったのかもしれない。蕎麦を打ったり、一食一食に美味しいものを求め、ブドウ収穫で泊まるコルシカの宿舎では忙しい最中なのに料理に手抜きをしなかったし、ワインにも造詣が深く、蘊蓄こそ傾けはしなかったけど、随分こだわっていた。

 

君との30年、あまりにも親しくし過ぎた。あまりにも思い出が多すぎる。君とはよくフランス語教育のあり方を話したけど、これからのフランス語教育界は加藤雅郁という巨星を失って、ささやかとは言え損害を被ることになると思う。フランスが大好きだった君はフランスを好きになる人が増えるのをこの上ない歓びにしていた。君と同じことはできないだろう。でも君だったらどうしているだろうと思いながら、僕たちは生きていくしかない。

 

もう無理しなくていい!動き回れなくて悔しいだろうけれど。君との出会いに感謝する。君と知り合えて幸運だった。どうもありがとう!À bientôt と言いたいけど….

 

2011年8月31日、シャブリにて
2011年8月31日、シャブリにて