La vie est très dure…. ああ無常!

齋藤 公一

 

ときおりぼくは、天国はどうやってでき、死はどうやって生じたか、考えてみることがある。つまりは、ぼくたちがぼくたちのいちばん貴重なものを、ぼくたちから押しのけてしまったからなのだ。というのも、そのまえにまだしておかねばならないいろいろなことがあったからだし、また忙しくしているぼくたちのところでは、そんな貴重なものは安全ではなかったからだ。

リルケ『マルテ・ラウリス・ブリッゲの手記』(塚越敏 訳)

 

 

加藤雅郁くん(彼が学部のときから知っていて、同郷で、年の離れた弟のような存在だったのでいつもこう呼んでいた)が2012年11月2日に逝ってしまった。今思えば、働きすぎだったのだろう。月曜日から土曜日まで授業が詰まっていた。でも手を抜くことをしない人だった。自分にとってだけでなく、学生たちにとっても面白いこと、楽しいことを追求するのが君の信条だった。授業だけでなく、研究や翻訳などを通して、君の愛するフランスを紹介し、さらにフランスを愛する人どうしを引き合わせ、その関係を深くしていくことに労を惜しまず、君自身もそれを楽しんでいたようだ。そのなかでも君の第一の功績、誰もやったことのない素晴らしい業績は、『ブドウ収穫隊』と言えるだろう。

 

さまざまな大学(多い時は10大学)から募集した約40名の学生たちと約2週間、ボルドー、ブルゴーニュ、年によってはシャンパーニュ、アルザスのいくつかのドメーヌを巡り、最後はコルシカで実際にブドウ畑で収穫に打ち込む、そういう企画だった。君自身も自負していたはずだ。ある大学の学生たちに覇気がないのを見て、君は「じゃあ、フランスへブドウ収穫にでも行くか!」と誘ったのが伝説の始まりだった。君は休みを利用してフランスへ行き、学生たちに収穫をさせてくれるワイナリーを探し、訪問のできそうな作り手を訪ね歩いた。パリで橋本克己氏(千葉商科大学)から友人ディディエ・ピエラ氏を紹介してもらい、フランスでの活動を充実させていった。以後ディディエとは兄弟のようにつきあっていた。1999年に第1回目の『ブドウ収穫隊』を実施。旅の最後の打ち上げの夜に君が涙ぐんだ光景が今でも目に浮かんでくる。実現までにとても苦労したと思う。君と、君がフランスでの教員研修で一緒になった小林正巳氏(文京学院大学)と中央大学出身の杉村裕史氏そして僕との4人で、2003年までは毎年、2005年以降は1年おきに実施して、去年(2011年)で9回目になった(8回目と9回目は慶応出身の塚越敦子氏にも手伝ってもらった)。来年は10回目になるはずだった。ちょうどきりもいいので最後にしようか、最後だから今までに行った土地を全部廻ろう、などということを小林氏と打ち合わせしたのが、倒れる前の日(10月27日)だった。君はとてもはりきっていた。