モントリオールのコリアン

別の機会にマリーさんに再びカナダ移住について聞いてみた。
「あなたが移住したころ、韓国の若い世代のあいだでカナダ移住は一種の流行だったのですか?」
「そう、韓国では不況が続いていたので、カナダへの移住を私たちのように考える人は多かった。私たちは本当はアメリカに行きたかったのだけれど、アメリカはなかなか受け入れてくれそうになかったし」
「知り合いがカナダにいたのですか?」
「知り合いは誰一人いませんでした。でも何とかなるだろうと思っていた。実際にはカナダについてからのほうが大変だったけど。とにかく仕事を見つけるまでが本当に大変でした」

 

失礼な話なのだけれど、実は私は海外移民というと戦前、戦後の日系移民やパリにやってくる中国系、アラブ・アフリカ系移民のイメージが強くて、祖国では恵まれない貧困層の人たちが先進国の大都市に移住して活路を見出すというイメージがあった。もちろん経済的に成功して、裕福な生活を送っていれば、海外移住は考えないと思うのだが、韓国人や香港人のカナダ移住には、私のステレオタイプとは異なる背景があるようだ。

 

マリーさんのフランス語は、他の韓国人とも異なる独特の訛りがあった。英語訛りでもない。ぺたぺたとした独特の響きで、ゆったりとこちらを説得するようなリズムがあって、私はその話し方が好きだった。授業中によく発言する人だったが、その独特の抑揚を持つフランス語を注意して聞いてみると、文法的に非常に正確なフランス語を彼女が話し、かつ語彙も豊かであることに気付いた。彼女はトロントで小学校の低学年の子供にフランス語を教えているというが、そのフランス語には教養が感じられた。
「あなたのフランス語は私の話すフランス語よりよっぽど正確だし、それに語彙も豊富ですね」と聞くと、次のような答えが返ってきた。
「ありがとう。私は大学ではフランス文学を勉強していたのです。大学を出たあとは、日本にもこういった学校はあると思うのだけれど、通訳・翻訳者養成の学校に行っていました」
「結婚して、子供が生まれてから、フランス語の勉強を10年くらい中断していました。カナダに移住したとき、トロントは英語圏なので、英語を一緒懸命、勉強しましたが、フランス語の勉強も再開しました。私はフランス語のほうが好きなんです。一年ほど前から仕事としてフランス語を教えることができるようになって、本当に嬉しく思っています」
彼女の夫は経済学の研究者でカナダに移住する前は、大学の非常勤講師だったそうだ。韓国でも大学の常勤ポストを得るのは非常に難しく、それで韓国での研究者としての将来に見切りをつけて、カナダ移住を決意したとのこと。ただカナダでの職探しは想像していた以上に大変で、彼女の夫は現在、郵便局で働いているとのことだった。

 

研修期間中にモントリオール大学の書店で私は、モントリオール在住の韓国系ケベック人作家であるウーク・チョングの自伝的虚構小説、『コリアン三部作』を偶然手に取った。在日コリアン二世の母を持つ彼は横浜の中華街で生まれたが、2歳のときに家族でカナダのケベック州に移住した。フランス語圏で教育を受けた彼の第一言語はフランス語となり、この小説もフランス語で書かれている。『コリアン三部作』の第二部のタイトルは「キムチ」であり、韓国との繋がりを失った彼が韓国系としてのアイデンティティの拠としているのが家族の食卓に必ず上がっていたキムチであることが記されていた。私はマリーさんに尋ねてみた。
「キムチはトロントに住む今でも食卓に欠かせないですか?」
「私と夫にはキムチは不可欠。でも息子たちはそうでもない。なくても平気みたいです」
「息子さんもフランス語を勉強しているのですか?」
「上の息子はカナダに来たときには中学生だったので、英語を学ぶのが精一杯でフランス語は全然できない。今、高校生の下の息子はフランス語を勉強しているけれど、あまり熱心には学んでいない。モントリオールにある英語系大学、マギル大学の医学部に入るって言っているけれど、成績から考えると無理だろうな」

 

韓国からやってきた大学教員に、マリーさんがモントリオールの大学生を指しながら
「ねえ、韓国の学生たちも今はあんな感じで自由で楽しそうな学生生活を送っているかな? 私たちのころは、受験勉強ばかりで窮屈だった」
と聞いたことがあった。韓国の先生は、
「韓国は受験も大変だけど、学費も高いから、大学に入っても学生はバイトと勉強で本当に大変よ」と答えていた。

 

研修中、韓国人同士は当然韓国語で話をするのだけれど、マリーさんは韓国人に話しかけるときも常にフランス語を使っていた。韓国人の先生もごく自然にフランス語で返す。こうしたやりとりを見ていたので、私は最初のうちはマリーさんが韓国語が不自由な二世ないし三世移民だと思っていた。3週間の研修の全プログラムが終了した日、私は韓国人グループにくっついてモントリオールの町を歩いて名残惜しんだ。マリーさんも一緒にいた。マリーさんはそれまで韓国人ともずっとフランス語で話していたのだけれど、最後の夜の食事をベトナム料理屋で取っていたとき、気が抜けたのか韓国人グループは韓国語で雑談をはじめ、マリーさんも韓国語で会話していた。研修の全プログラムが終わった解放感と疲労で私はぼーっとしながら、韓国語の会話の音を聞いていた。マリーさんが後で気を使って「ミキオ、ごめん。私たちはカナダのチップの習慣について話していたんだ。私は実はチップについては多く取りすぎだと感じている」とフランス語で説明してくれた。