ブルターニュ旅行記
大須賀 沙織
フランス北西部ブルターニュ地方は、いにしえのケルト文化を今なお感じることのできる土地です。ケルト語系のブレイス語が話され、フランス王国から長く独立を保ってきたという歴史、フランス革命期には、農民たちが王党派と結びついて革命政府に立ち向かったこと(バルザックの歴史小説『ふくろう党』に詳しく描かれています)。フランスの中でも信仰心の篤い地方ですが、そのカトリック文化は、ローマではなく、イングランド、アイルランドからもたらされた独自のものであること…。こうした特殊性に惹かれて、ブルターニュに呼び寄せられるように、ふと思い立って旅行をしてきました。
パリからTGVでアンジェを経由し、ブルターニュ公国の入り口ナントへ。
◆ ブルターニュ大公城/ナント歴史博物館
1598年、アンリ4世がナントの王令を発布し、宗教戦争に終止符が打たれました。その舞台となったのがこのお城です。現在はナント歴史博物館になっています。
◆ お城の手前の広場には、アンヌ・ド・ブルターニュ(1477-1514)の像
ブルターニュ公国存続の危機に見舞われた際、フランス国王と結婚することにより公国を守った王妃。今も土地の人々から愛されています。
◆ カルナック
ナントからTGVとバスを乗り継いで、巨石文化の遺跡が残るカルナックをめざします。近くまで来たものの、車がないとどうにもなりません。困っていると、宿泊先の修道院で一緒だった地元の高校生と高校の先生が車で案内してくれることに。
宗教儀式に使われたとも、太陽信仰に関係するともいわれる列石群。ぬかるみで靴は泥だらけになり、転ばないよう手を取り合いながら巨石に近付きます。巨石の一つに触れてみると、あたたかくて、生きているような、やさしいものを感じました。
◆ ブレスト
カルナックから車とTGVとバスを乗り継いで、知人が暮らすブレストへ向かいます。ブルターニュ地方の中でも、最西端のフィニステール県(「世の果て」を意味します)のさらに突端に位置するブレスト。車で連れて行ってもらったのはこの土地特有の「囲い込み聖堂地」(enclos paroissiaux)です。聖堂が石壁で囲い込まれていることから、こう呼ばれています。
土着の宗教では聖と俗、生と死、この世と彼岸との境界があいまいだったため、境界を認識させるため、そして家畜が入ってこないようにという実用的な理由もあって設けられたようです。
門をくぐると、「カルヴェール」と呼ばれる、キリスト磔刑の群像が。
カルヴェールを見上げ、ぐるりと一周しながら、キリストの生涯と聖書の物語をたどります。
子ろばに乗ってエルサレムに入城するキリストを、人々は自分の服を道に敷き、しゅろの枝を持って迎えました(ここでは、服を敷く人の姿が見られます)。地上におけるキリストのつつましい栄光の場面です。復活祭の一週間前、「枝の主日」(dimanche des Rameaux)に、美しい聖歌とともに祝われます。
今回は駆け足で4つの囲い込み聖堂地を見て回りましたが、じっくり味わうには時間が足りませんでした…。
本当は訪れたかったドゥアルヌネ湾(海底に沈んだイスの都の伝説が残る場所で、ドビュッシーのピアノ曲〈沈める寺〉はこの伝説をもとにしています)、サン・タンヌ・ドーレー大聖堂(この地方特有の聖アンヌ信仰が見られ、ブルターニュのルルドともいわれます)、バラ色の花崗岩海岸…。いつかまた行けたらいいな…。
参考文献
小辻梅子・山内淳『二つのケルト ―その個別性と普遍性』世界思想社、2011.
武部好伸『フランス「ケルト」紀行 ブルターニュを歩く』彩流社、2003.
中木康夫『騎士と妖精 ―ブルターニュにケルト文明を訪ねて』音楽之友社、1984.
原聖『〈民族起源〉の精神史 ブルターニュとフランス近代』岩波書店、2003.