美輪明宏 語り部としてのシャントゥール

平坂 純一(フランス語フランス文学コース4年)

 

世人が「美輪明宏」の名を聴いて思い出すのは、歌を唄う姿、テレビで説法する姿、知識人と互角に議論する姿、これらが大方です。正確に全体像を掴むことは難しい人物です。私にとって彼は、語り部だと解します。

 

シャンソンの本質はsouvenirにあります。自らの人生体験含めた人間普遍の情念を述懐しながら語る。音楽、演劇、スタンダップコメディこれらを総合化した簡素なオペラの様な芸です。シャンソン歌手はその総合的な芸で人生を表現している。例えば、吾々がアズナブールに惹かれるのは、唄から滲み出る彼の背負った人生にある。歌唱力だけを求めるならオペラでよい。しかし、彼と云う替えのきかないキャラクターがあることで、観衆には彼でなければ歌えない唄が聴けるのです。彼らに共通する見せ方の巧みさのみならず、彼らの述懐に普遍性があるからです。それは国籍や人種や時代状況に関わらず、ある普遍的な根本感情を言葉で語る。色恋の歌ひとつにも宗教的な倫理観があり抽象性が高く、かつ具体的な状況に落とし込む。カラオケ化というべき、現代の「誰でも歌えるポップス」を超えたものを感じざるを得ないのです。

 

美輪さんはそれを理解し演じています。彼の根本感情とは何か。その足跡を辿るため長崎に行きました。彼の育った街、長崎市本石灰町を無礼と知りつつ散策しました。

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長崎は西日本では珍しい城下町でない県庁所在地で、古くは幕府の長崎奉行直轄の街で貿易港として栄えました。世界中の船が集まる異国情緒と、底流にあるカトリック信仰からなるコスモポリタンです。美輪さんの育った本石灰町はかつて「丸山遊郭」と呼ばれ、江戸・京都と並ぶ三大遊郭でした。

 

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驚くことに遊郭の周囲には石垣が積まれており、政治的社会的な独立性を有す、いわば「上なし」のエリアであったことが偲ばれるのでした。

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この丸山遊郭で人気の美人マダムを養母に持つのが美輪さんなのです。戦中までは映画館や楽器屋、芝居小屋もあってたいへん賑わったようです。今では文化的な施設は見当たりませんでした。とはいえ、日本の地方都市特有の湿った感じがない。開放的でいて節度のある自由の雰囲気を感じました。西洋風の街並、中華街、教会が入り交じる街・長崎で文化的な生活をした美少年が今も人前で人生を語っている、この事に奇蹟の感を覚えることに、特別な不自然はないでしょう。

 

原爆投下、性的マイノリティ、日本文化のアメリカナイズなど、彼の根本感情には日本人が無意識に避ける問題への意識があります。それを様々な形で風刺し、物語に落とし込み、語るように唄い、唄うように語る。いわば語り部であり、フランスのシャンソン歌手たちの正統な手法です。日本なら森繁久彌と比較されるべき総合芸能家に思えます。「ヨイトマケの唄」、「金色の星」、「長崎育ち」、「ふるさとの空の下」等、彼のオリジナル曲も彼の問題意識や普遍的な感情を具体的な詩にした曲ばかりで、素晴らしいものです。今後、シャンソンを始めとするフランス文化を涵養した芸能家が早々出てくるとは思えません。今年の舞台「黒蜥蜴」や音楽会はお勧めしたい。仏文で学んだ人なら一度でも彼の教養溢れる語りに直に触れれば、実りのあること請け合いです。