フランスのラジオが好きな理由

その日の帰り道、私はさっそくアンジェのフナックFnac(加倉井先生が3つ前のコラムでとりあげられています)に足を運び、そこで一番安い値のついていた携帯用ラジオを購入しました。部屋に帰って乾電池を詰めてスイッチを入れ、適当にチューナーを合わせる中で、デザイン性のかけらもない灰色のちょうど手のひらサイズの直方体の物体の向こうから聞こえてきたものは、妙にノスタルジックというか、どこか遠くから、空間的ではなく時間的な隔たりをもってやってきたような、そういえば古いフランス映画のワンシーンでよく使われるラジオの音に似ているような気がする、いずれにしてもそれが自分と同じ時代を生きる人々のうえにまさに今日というこの日に起こったことを伝える言葉であるようには聞こえない、そんな奇妙な印象を沸き起こすものでした。

おそらく当時の私はまだ日本からフランスに降り立ったばかりで、全身から日本臭をぷんぷんさせていたのでしょう。そんな自分にとってアクチュアルなものとはすなわち日本でアクチュアルなものであってそれ以外はなく、フランスで日常的に取り沙汰されていることの多くは自分とは関係がない、というよりもそれまでは関係のもちようがなかった。だからフランスにおいてアクチュアルであるはずのものが、そのころの純日本的な私の耳に、遠い時代のどこかですでに起こったことのように聞こえたのではないか。これは事後的な、そしてかなり恣意的な説明ですが、とにかく私はこの遠くて奇妙でおそろしく速いフランス語(フランス人にとっては速くもなんともなく、これこそが最も近しく日常的なものなのですが)になんとかして近づきたい、聴き取れるようになりたい、と強く思うようになり、その日から、上に書いた《フランス語聴解》クラスの先生のアドバイスをそのまま実践したのでした。目覚めと同時にラジオをつけて朝の支度をしながら聞き流し、外出時には歩く道すがらイヤホン、図書館に行っても傍らにラジオを置いてイヤホンでニュースを聴きながら勉強、夜もベッドに入ってイヤホンでラジオを聴きながら眠りに入る、──そんなことをアンジェでの半年間の語学留学生活の中で続けました。

 

 

私がとくに気に入って聴いていたのは、《フランス・アンフォFrance Info》という報道専門の、いわばフランスで最もお堅い部類に入るラジオ局の放送です。フランスのラジオ局の多くは日本のそれとは違って局ごとにそれぞれ担当する専門領域をもっているのですが、これはどういうことかというと、France Musiqueはクラシック音楽専門、France Cultureは高踏文化専門(文学・哲学・芸術・宗教、その他)、Nostalgieはフランスの懐メロ専門(中島万紀子先生が大好きだそうです)、TSF Jazzはジャズ専門、Cherie FMは仏米英のポップ・ヒット曲専門(よくスーパーなどで流れています)、Le Mouv’はロック専門、Radio Novaはレゲエ・ラテン音楽専門、キリがないのでこのあたりで列挙はやめますが、たとえば、自分は同じ音楽でもとにかくジャズが好きでそれ以外の音楽ジャンルは別にどうでもいいという人がいたとした場合、TSF Jazzを流していればその人は日がな一日好きなジャズだけをラジオで聴いていられる、とか、フランスではそんなことが可能だということです。日本のラジオも、局ごとにそれなりに特色はあるとはいえ、どれも基本的に総合局で、曜日ごとに一日のうちの時間帯によって流すプログラムが決まっているため、仮に聴きたい音楽番組があったら特定の日の特定の時間帯にこちらが合わせて行動しなくてはならないといった面倒な事態が往々にして起こりますが、フランスでは各局がそうやって明確に専門性を打ち出してくれているので、何か好きなジャンルがあったらその局にチューナーを合わせさえすれば、そのときに自分が聴きたいものを、それほど大きく期待を裏切られることなく、すぐに、そしてずっと聴くことができます。