Paris, je t’aime について

山崎 敦

 

近所のレンタル・ビデオ店でなにか授業に使えそうなフランス映画はないかと探していたら、新作コーナーに『パリ、ジュテーム』という、そのままの題名の教科書があってもおかしくない、あまりにもベタなタイトルのDVDに目がとまった。フランス語のクラスで「パリ、ジュテーム」とはなんとも気恥ずかしいじゃないかと苦笑しながらケース裏面の紹介文に目を通してみると、かれこれ2年ほど前、旅行で訪れたルーアンの通りがかりの映画館で目にとめたが結局上映時間が合わずに観そびれていた映画であることに気がついた。あの時は、この『パリ、ジュテーム』の代わりに『血と骨』というむごたらしい駄作を観たのだけれど、それはともかくも、当時暮らしていたパリをたった数日離れただけで、旅先で「パリ」と名のつく映画に引き寄せられていたことに今更思いあたり、自分の度し難い「パリ憧憬」ぶりを思い知らされるようで、いっそう気恥ずかしい思いがした。そんな気恥ずかしさをもてあましながら、このパリ全20区のうち18区をそれぞれ舞台にした、18人の監督によるいずれも5分たらずの短編の数々を観てみると、見覚えのある通りや街区がいくつか出てきたことはたしかだが、意外なことにさほど懐かしさが胸にこみあげてこなかった。フランス語の教材探しという下心もあって前半こそ画面に集中していたが、始まっては終わり終わってはまた始まるという、せわしない反復にしだいに疲れてきて、最後の一篇であるアレクサンダー・ペイン監督による14区にたどりついた時には、ようやくこれで終わってくれるのかとほっとした。

 

この最後の14区を舞台にした短編はフランス語教材にうってつけの映画だった。なにしろこの短編の全体にかぶせられているナレーションはフランス語教室において朗読されている作文という設定なのだから。冒頭の何も映っていない暗い画面に、フランス語教師とおぼしき人の「次は誰が読むの?」という声が響き、女性なのか男性なのかどうにもはっきりしない声音で誰かが « Moi »と応え、その作文の朗読が始まる。だんだん画面が明るくなってくると、ある駅前の広場が浮かびだし、次に画面が変わると夜明けのホテルの室内で、その朗読者である女性が広場を見下ろすかたちで窓際に立っている。朗読のフランス語はすぐそれと分かる英語なまりで、画面に映っているのが女性でなければ、男が喋っているのかと思いこみかねないほど低い。そんな声にいかにも似つかわしいずんぐりとした体形のおばさんが目許にすこし悲しげな色をみせて窓際に立っているのだ。色合いがはっきりしないくせに妙に派手でもあるパステルカラーのシャツを着て、足許はスニーカー、そしてコットン・パンツの丈はかなり短くて白い靴下が覗き、ウエストポシェットをぶよぶよとした太鼓腹の下に「まわし」のように締めている─そんなデンバーからやってきた郵便配達のおばさん。パリに来たいがためにフランス語を習いはじめ、2年後にこうして6日間の予定で憧れの地を訪れたものの、最終日になるまで時差ぼけが抜けきらず、美術館をはじめ一通りパリ観光らしきものをしたにはしたが、さっぱり心が浮きたたない。「パリは芸術家の街とか恋の街とか言われているけれど、自分にはまるで無縁なのだ」──通りすがりの「パリジャン」にフランス語で訊ね、そして英語で薦められた中華レストランの、パサパサとした焼飯を馴れない箸でつつきながら、そんなことを思いもする。せっかく勇気をだして « Est-ce que vous savez où est un bon restaurant par ici ? » と訊ねたのに、にっこり微笑みながら« par ici ? »の語尾を精一杯上げてみせたのに、英語で返事を返されたあげく中華レストランを薦められては、観光気分は浮き立ちようもない。でも、街路をあてどなく散策するうちにいつしか異国情緒にうっとりもしてきて、「もし私がここに生まれたら、もし私にお金があったら、ここで暮らしていけるだろう」と、たぶん習い覚えたばかりの条件法を使ってその感動を表現しようとしたら、条件法の活用には失敗、« vivre »の発音には苦しげにどもってしまう。モンパルナス墓地では「ボーヴォワール」の発音に失敗して「ボリヴァー」と言ってしまうし、あたりの雰囲気に染まって亡き母と妹の追憶に耽ってしまい、自分が死んだところで誰も墓参りに来てくれないにちがいないと悲しくなる。それでも、モンパルナス・タワーの展望台からパリを俯瞰しつつ「それでもかまわない」と開き直ってみせるが、こんなすばらしい景色が眼前にひろがっているのに « C’est bon ! »と言える相手がどうして隣にいないのか──そう呟いてまた悲嘆にくれてしまう。そして、11年前に分かれて今では3人の子持ちになっている昔の恋人が隣にいてくれればと埒もない夢想に耽る。