スイス・アパート メント
「私は自分の好きな音楽が聴きたいのです。私は病気で、お腹に悪いものがあります(こう言ってお腹をおさえる仕種をしたが、たしかに何となく膨らんでいたかもしれない)。もうすぐ死ぬと言われました。だから好きな音楽を聴いておきたいのです。」
思いもよらない言葉にしばし呆然としたが、目の前で泣いている娘をそのままにもできずに、詳しい病状などを聞くことは避け、病院には行かないのか、医師は何と言っているのかなどを聞き出した。どうやら入院中らいしいが、週末だけ家に帰ることが許可されているらしかった。それを聞いた後、私は、好きなだけ音楽を聴いて構わないと彼女に言い、彼女を部屋まで送り届けて自分の部屋に戻った。「お腹に悪いものがある」という彼女の言葉に、癌のことを思ったが、波風の立たない留学生活に沈んでいた私には、すぐに「死」という言葉がピンと来なかったし、ひょっとして担がれているのではないかと少々訝しんだのも事実だ。それからまたしばらく時間が経った。ある晩遅く、今度は電話が鳴った。あの娘だ。電話の向こうでヒステリックな叫び声が響いた。「助けて!私の叔母に連絡を取ってください!私は閉じ込められていて、外に出られません。叔母に、救急車を呼ぶように言ってください!」緊迫した声だったが、私はなぜ自分で叔母に連絡を取らないのかと娘に問うた。娘は次第に呼吸を荒くし、しまいに「あっ」と叫んだまま声を途切らせてしまった。さすがに動転した私は、管理人の所に行って事情を説明すると、いっしょに娘の部屋へ行き娘を呼んでみた。返事がない。急いで管理人が救急車を呼んで、救護班が駆けつける。玄関を力任せにこじ開けると、娘が内側で倒れていた。そして彼女は病院にまた連れ戻されてしまったのだ。
これを機に管理人と娘のことを話してみた(言うまでもなく管理人はスペイン人だ)。すでに彼女も事情を知っているらしく、娘はアルコール中毒がひどくそのせいで入院しているとうこと、母親はそんな娘を持て余し、娘が病院を抜け出してお酒を飲まないように、家に特別な錠をつけて監禁していたことを聞いた。管理人の所にも娘はちょくちょく行っていたらしく、「もうすぐ死ぬ」と言っては泣き出して、四時間も居座ったとか。隣でそんなことが起きていたとはつゆ知らず、移民の悲しい生活ぶりに心が痛んだ。しかしこれも乗りかけた船、一度くらいお見舞いに行こうかと考え、そのことを、仏教を信仰する日本人の知人に話すと、「お見舞いに行って、あなたに悪いことが降りかかるわけではないから、行ってらっしゃい」と、まるで行かなければ悪いことが降りかかるかもしれないと匂わせるような言い方で励まされ、恐る恐るではあるが、入院先の州立大学中央病院を訪れた。二度顔を合わせただけのアパートの隣人のお見舞い、何を話していいのか皆目見当もつかないまま彼女のいる大部屋を訪ねると、何もない殺風景なベッド周りにますます哀れが感じられた。とはいえ、病院にいる彼女は大変穏やかで、私が目撃したあの取り乱した様子は微塵もない。ああ、アルコールの罪深さよ。三十分ほど世間話をして帰ったが、この後、数週間あるいは数ヶ月だったかして、彼女は亡くなった。彼女の葬儀がどのように行われたのか私は知らない。彼女が亡くなったと管理人に聞いた数日後、母親はベッドを処分した。粗大ゴミの日に、アパートの前に捨てられていた大きなダブルベッド。おそらく娘と母親がいっしょに寝ていたものだろう。その後私が日本に帰国する日まで、とうとうその母親とは一度も会わなかった。