スイス・アパート メント
私がお話しするもう一人の人物は、私の斜め上に住んでいた白人の青年である。何歳ぐらいだろうか、二十代後半だろうか。金色の短髪でたぶんスイス人だろう。黒いドーベルマンと暮らしていた。私が午後買い物をしに出かけるときに、犬と一緒にいる姿をしばしば見かけたので、働いていないのは一目瞭然だった。あまり明るそうなタイプではないかもしれないが、変な様子もなく、別段気にも止めていなかった。ところが、「9・11」を過ぎた頃からだったか、不穏な気配がアパートに満ちてきた。私は夜型生活をしていたので、就寝はたいてい二時か三時だった。ある晩、もうすぐ深い眠りに入ると思われた頃、どこかで壁を叩く音が聞こえてきた。しかも大きな音である。一度や二度ではなかった。一時間ほど続いたのではないか。その叩き方から、それが悪意のこもった行為であることが感じられた。私は恐かった。それが私を苛めるための行為のように思われたからだ。一人で暮らすと、人は妄想に取りつかれる。すべてが自分に関わることのように思えてしまうのだ。一瞬日本に電話しようかと考えたが、日本から助けに来てくれるわけでもないし、自分を落ち着かようとした。とはいえ、あの壁を打ち続ける音が耳に残って、眠れない一夜を過ごした。
このようなことがあると、アパートの住民が皆怪しく見えだしてくる。あいつなのか、こいつなのか。皆平気そうな顔をしている。悩んでいるのは自分だけなのか、そう思うとますます口惜しさと不安が込み上げてくる。壁叩きはその後も続いた。だいたい四~五日間隔だった。昼間は静かなのに、他人の睡眠を妨害しようというわけか。許せない!私はそう思っていたが、アクションを起こすわけでもなかった。敵が誰なのか見えない状況は、やはり心細かったからである。すると今度は夜中に大音響で音楽が鳴りひびいた。いい加減にして、と怒りに任せて私は勢いよく部屋から飛び出し、真夜中のアパートの廊下を音楽の鳴る方へ向かった。そして階段を上ってたどり着いたのは、あのドーベルマンを飼っている青年の部屋である。しかしこういう場合、女はやはり不利だと思う。あの青年に、静かにしろだなんてとても言えそうにない泣く泣く部屋に引き返した私は、翌日、管理人にあの青年を告発に行った。そしてまたしても彼女から、青年のことをいろいろ聞いた。彼女が言うには、青年は無職で、精神的障害が少しあり、ドラッグ患者である。ソーシャルワーカーがついているらしいが、なんでも、被害妄想が激しいらしく、玄関扉の横に刃渡り三十センチほどもある包丁を常時置いているとのこと。つくづく音楽のことで文句を言いに行かなくてよかったと思った。ただ、青年が自分の買っている犬を虐待していると聞かされたときには、本気で「殴ってやりたい」と思った。青年の来歴や家庭の事情など一切知らないが、無職者に問題が多いのは洋の東西を問わず同じだ。そういう社会のしくみに怒りを感じる。お金に困ると、空き巣を働いていたらしいが、被害者は同じ建物の四階の住人だとか。しかし現行犯で捕まっていないので野放しのままである。ただ不思議なことに、事情が分かると私の気持ちが落ち着いてきた。私以外にも、すでに何人かの住民が、夜中の騒音のことで苦情を言いに来ていたらしい。私も他の人も同じ苦しみを分かち合い、同じ暴力を前に苛立っていたわけだ。暴力は、それを被る人々を結びつける。そう、団結しなければ!Tous ensemble, tous ensemble!(デモの際の掛け声「皆一緒に!」)しかしことはこれでは済まない。私の留学生活も終盤に入り、論文執筆の長い、実に長いトンネルの彼方に一条の光が見え始めた頃、私は別の光を自分の部屋の窓の外に見た。それはクラッカーの光である。その光は窓の向こうで何度も光っては、地上に落下して大きな音を立てた。「これは!」と思い、勢いよく窓から身を乗り出し、何が起こっているのか辺りを見渡してみた。すると頭上からくすくすと笑い声。振り向くとあの青年が私にこう言った、「ボンジュール」。