あるフランス音楽(?)の話(1)
さて、ここまで4枚の作品を紹介してみました。これらの音楽には一見したところ、あまり共通点はなさそうです。ジャンル的にも、ヴァリエテ、フリージャズ、レコメン系、ロックとバラバラです。しかしちょっと調べてみると、これらの音楽は意外とつながってるんですね。
例えば、大里俊晴氏がかつて指摘したことですが、コレット・マニーのバックバンドを務めたジャズ・ミュージシャンたちは、ほとんどそのままフランスのフリージャズの誕生を担ったメンバーでした(3)。あるいは、フリージャズの作品をリリースしていたBYGのActuelシリーズは、ロックのアルバムも出していましたし、おしゃれなフレンチポップスのレーベルだと思われているSaravahと人脈的につながっていて、スタジオも共有していました。それからベルギーのアムージーという町で催されたBYGのフェスティヴァルには、ジャズ・ミュージシャンだけでなくキャプテン・ビーフハートなども参加しており、そのビーフハートはZNRともつながりがあって、Barricade3の内ジャケットにイラスト(というより落書き)を寄せています。そもそもBarricadeの音楽はフリージャズからの影響が強く、後に彼らの録音を出すことになるレーベルFuturaもまた、当時からBYGと同じくフリージャズと前衛的なロックを両方出すレーベルでした。ポストパンク/ニューウェイヴのシーンは、さすがにそこからはちょっと距離がありますが、Marquis de Sadeの2枚のアルバムを出したレーベルCobaltのフィリップ・コンラートPhilippe Conrathは、もともと70年代前半にジャズのシーンから音楽にかかわりはじめたらしく、人脈的にまったく無関係というわけでもありません。そうしたわけで、70年代のフランスではフリージャズとポップスやロックとの距離が、他国に比べても近かった感があります。
ちょっとややこしい話になりましたが、より重要なことは、こうした70年代フランスのシーンが独立系のレーベルやミュージシャンによって支えられていたこと、そして多くの証言が語っているように、そのバックボーンをなしていたのが自主独立を求める「68年の精神」だったということです。つまり68年5月の学生と労働者の反乱に体現された、体制によって与えられたものを無条件に受け入れることを拒み、生活や文化を自分たちで創造してゆこうとするとする精神のことです。こうした視点から眺めると、上で紹介した4枚のアルバムを通じて、60年代から80年代初めまでのフランスのある種の精神史が浮かび上がってくるようにも思われます。
まずコレット・マニーは、商業的シャンソンの歌い手としてデビューしながら次第に政治色を強めていくわけですが、68年前後にも労働運動に強くコミットし、例えばクリス・マルケルらのメドヴェドキン・グループLes Groupes Medvedkineの、労働者たちとのコラボレーションによるドキュメンタリー映画制作の試みに参加しています(4)。あるいは、レーベルBYGの設立とアメリカのフリージャズのミュージシャンたちの受容、それにカルルとコモリの『ジャズ・フリー』の批評的試みも、68年5月の熱気を抜きには考えられません。そしてBarricadeもまた、「バリケード」というバンド名からも窺えるように、まさに68年5月の運動から生まれたグループでした。マニーとは世代の違う彼らは、おそらく労働運動ではなく学生運動のほうに深くかかわったと推測されます。Barricadeは、人々の自由な結びつきを追い求めたメンバーたちの、新たな共同性を模索する試みだったともいえます。ところがBarricadeの後にザズーとラカイユが結成するZNRはといえば、その人工的に構築された空間性や遊技的な言葉の使用法、そしてそのすべてを要約するレーモン・ルーセルへの参照などに、政治的熱狂から一歩身を引いた雰囲気を感じ取ることができます。そして最後にCold Waveのミュージシャンたちですが、彼らは先行する「68年世代」に対してはっきりと違和感を表明し、社会変革に対しニヒリスティックな態度を取ってみせました。そのことを象徴しているのが、Marquis de Sadeのメンバーが自分たちの母親と一緒に写真に収まり、「モダンな若者たちはママンが大好き」とキャプションのつけられた、1980年のActuel誌のグラビアです(先に挙げた展覧会のカタログに再録)。そこには「反抗する若者」という先行世代が確立したクリシェへの違和感がアイロニカルに表明されているわけですが、これもまた68年5月へのひとつの「リアクション」には違いありません。
こうして上でバラバラに紹介した4つの作品を通じて、日本でいえばさしずめ「政治の季節からシラケ世代へ」とでもいうべき精神史がおぼろげに浮かび上がってくるわけです。