あるフランス音楽(?)の話(1)
門間 広明
みなさんはフランスの音楽というと何が思い浮かぶでしょう? 歴史的に多くの才能を輩出してきたクラシック、あるいは日本では「シャンソン」「フレンチ・ポップス」と呼ばれることの多いヴェリエテでしょうか? 80年代の終わりからフランスが流行の発信地となったワールドミュージック、あるいは90年代以降活気づいているロックやラップ、それに最近はスラムなんかを聴いている人もいるかもしれません。仏文の先生にもこれらの音楽に詳しい方が何人もいらっしゃいます。しかし私は、恥ずかしながらこれらの音楽についてはあまりよく知りません。そんな私がここで、大胆にも(?)おすすめのCDをいくつか紹介してみたいと思います。以下で取り上げるのはメジャーなメディアではあまり話題になることのない音楽ですが、これらもまた「フランスの音楽」の隠れた水脈をなしているのです。……などと書いてみたものの、実はただの個人的な趣味話です。先生にコラムの執筆を頼まれたものの、私はつまらない人間なのでこれくらいしか書くことがないのです。(以下、興味を持ってくれた人が情報検索しやすいように、固有名にはアルファベット表記を付記しています。ただし日本でも有名なものについては省略します。)
最初は、コレット・マニーColette Magnyという歌手のVietnam 67- Mai 68(Scal’ Disc, CMPCD07)という作品です。
1963年のフランスで、それまでまったく音楽教育を受けたことのなかった36歳の女性が、17年も勤めたO.C.D.E.(経済協力開発機構)での秘書の職を辞し、歌手としてデビューしてしまいます。それがコレット・マニーです。彼女の魅力は、まずはその声にあるといえます。どっしりと安定感があり豊かな倍音を含むその声は、簡単にいえば黒人のブルースシンガーのそれに近いものです(まあこ の動画を見てください)。声そのものの魅力もさることながら、歌手としての実力も疑いようありません。しかし本当に驚くべきなのは、彼女がデビュー後数年にしてメジャーなシーンから完全に撤退し、音楽的かつ政治的にきわめてラディカルな試み乗り出すことです。60年代後半に発表されたVetmnam 67とMagny 68というアルバムは、アンガジェ(政治参加)した歌手としての、彼女の初期の傑作といえます。この2枚のカップリングとして再発されたのが、ここで紹介するVietnam 67- Mai 68です。ここではジャズや現代音楽畑のミュージシャンとともに先鋭な音楽的試みが行われ、そして歌詞はそのほとんどが政治的な内容になっています。遠くから響いてくるようなパーカッションの音に乗って、広島の被爆者について歌われる”Bura Bura”という曲がとりわけ印象的です。
同時期のジャズとヴァリエテのコラボレーションといえば、すぐ思い浮かぶのは1969年のブリジット・フォンテーヌとアート・アンサンブル・オブ・シカゴによる『ラジオのように』ですが、コレット・マニーの作品はそれと比べてもはるかに政治的な歌詞が特徴です(おそらくそれが原因で、知名度ではずっと劣っているわけですが)。ともあれどちらも傑作といえる作品なので、この二枚を聴き比べてみるのも一興でしょう。 コレット・マニーは以後も、歌詞においてさまざまな政治問題を取り上げ、またラルースのフランス語辞典の”marche”の項をそのまま歌ったり、アントナン・アルトー作品の朗読を収めたレコード発表したりと、ユニークな活動を続けてゆきます。しかし彼女はメジャーなメディアでは無視され、その曲がラジオでかかることはほとんどなくなります。64年にはオランピア劇場でクロード・フランソワとシルヴィ・ヴァルタンと共演した歌手がこのような経歴をたどったこと自体驚嘆すべきですが、その作品の圧倒的な力は、彼女の選択の正しさを余すところなく証明しています。