Édouard Louis氏講演会「プルースト、セリーヌ、ジュネ」【11月13日(金)】

エドゥアール・ルイ Édouard Louis 

「プルースト、セリーヌ、ジュネ」 Proust, Céline, Genet 

 

11月13日(金)|13:00~14:30  Vendredi 13 novembre

早稲田大学戸山キャンパス(33館331号室bâtiment 33, salle 331

入場無料|Entrée gratuite

フランス語・日本語 (逐次通訳付き)En français avec traduction consécutive

 

協力 : アンスティチュ・フランセ東京 En collaboration avec l’Institut Français Japon Tokyo (http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/07112015/) 及び(株)フランス著作権事務所le Bureau des Copyrights Français

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エドゥアール・ルイ自身による講演会紹介

作られつつあるあらゆる文学は、文学の批判からはじめなくてはならないに違いない。意識的であるにしろないにしろ、文学作品は文学作品と見なされ、認められるために、何を排除しているのだろか。文学の境界はどこにあり、何がその内部と外部を決定するのだろうか。

プルーストやジュネ、セリーヌといった大作家たちは、それまで排せきされていた現実を文学空間の中に、鮮やかに招き入れた。すなわち同性愛、ポルノグラフィー、ある種の暴力や、民衆の口頭言語やそれを語る人々の生活、カウンター・カルチャー、などである。文学がそれ以前には見せることができず、その手段もなかったものを見せるために、彼らは新しい形式を発明した。

しかし明らかに、新しい見方を作り出すことは、新しい盲目を生み出すことでもあるはずだ。文学野で一つの革命を実現するために、こんどはプルーストやセリーヌが、みずからの書物の外部に置き直したものは、はたして何だったろう。今日、文学の急進性とは何を意味するのであろうか。

文学はどんな場合も、内在的に文学の政治に結びついている。誰が語っているのか。語ること、見ることの権利を持っているのは誰なのか。また逆に、沈黙と闇の中へと追いやられてきた人生や現実とは何であろうか。これはまず文学の問題において、しかしそれだけではないに違いない。

 

Présentation de la conférence (Édouard Louis)

Toute littérature en train de se faire devrait commencer par une critique de la littérature : qu’est-ce qu’une œuvre littéraire exclut, consciemment ou non, afin d’être considérée, perçue comme une œuvre littéraire ? Où sont les frontières de la littérature ? Qu’est-ce qui définit son dedans et son dehors ?

Les grands écrivains comme Proust, Genet ou Céline ont magistralement fait entrer dans l’espace littéraire des réalités qui jusque-là en étaient chassées : l’homosexualité, la pornographie, certaines formes de violence, le langage oral et populaire et les vies qui le parlent, les contre-cultures, etc. Ils ont inventé des formes nouvelles pour montrer ce que la littérature n’avait jamais pu et su montrer auparavant.

Mais bien évidemment, on ne peut produire de nouvelles manières de voir sans engendrer de nouvelles cécités. Qu’est-ce que Proust ou Céline, à leur tour, ont mis en dehors de leurs livres afin de produire une révolution dans le champ littéraire ? Qu’est-ce que signifierait la radicalité littéraire aujourd’hui ?

On voit bien que la littérature est toujours intrinsèquement liée à une politique de la littérature : qui parle, qui a le droit à la parole, à la visibilité, et quelles sont, à l’inverse, les vies et les réalités qui sont renvoyées dans l’ombre et le silence, en littérature donc, mais pas seulement.

 

エドゥアール・ルイ Édouard Louis 

「作家エドゥアール・ルイは、高等師範学校(ENS)で社会学を学び、ピエール・ブルデューを専門として、格差・階級社会における決定論のメカニズムを研究してきました。22歳という若さで、知的エリートとしてパリでフランス大学出版局の叢書の編集代表を務めるまでの活躍をしているエドゥアール・ルイが、2014年に発表した自伝的小説『エディに別れを告げて』(東京創元社、2015、 高橋啓邦訳)は、現代の現実世界の出来事とは信じがたいほどの貧困の実態、想像を超える差別主義(性差別、人種差別、同性愛差別)を赤裸々につづった衝撃の物語です。

一方、東北大学教授の佐藤嘉倫は、現在、同大学院の研究プログラム「社会階層と不平等研究教育拠点」拠点リーダーを務めるほか、2005年に実施された「第6回社会階層と社会移動全国調査」では、研究代表として調査グループを牽引しました。」

(http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/07112015/)

 

“Édouard Louis est écrivain et sociologue, spécialiste de Bourdieu, et mène des recherches sur les mécanismes du déterminisme social. Il a fait paraître en 2013 un ouvrage s’intitulant Pierre Bourdieu : l’insoumission en héritage (PUF). En 2014, il publie son premier roman, En finir avec Eddy Bellegueule, Le Seuil (édition japonaise parue en 2015 chez Tokyo Sogen sha, traduction Takahashi Kei) ; il n’a alors que 22 ans. Décrivant un environnement rural et pauvre, où règnent discrimination raciale, sexisme et homophobie, ce roman analyse avec finesse la mécanique implacable des déterminismes sociaux contemporains.”

(http://www.institutfrancais.jp/tokyo/fr/events-manager/07112015/)

エディに別れを告げて』は戸山キャンパス31号館1階生協戸山店で購入できます。

 

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進級ガイダンス 【7月14日(火)】

7月14日(火)のお昼休み、フランス語フランス文学コースの進級ガイダンスが開かれます。

フランスに興味のある方、コース選びに迷っている方、どうぞ仏文の雰囲気をのぞきにきてください!

場所は39号館3階フランス語フランス文学コース室です。

 

進級ガイダンス

François Laisney神父講演会「グレゴリオ聖歌とガリア聖歌~フランスで生まれた聖歌をめぐって~」【6月16日(火)】

6月16日(火)16時40分より、フランソワ・レネー神父の講演会「グレゴリオ聖歌とガリア聖歌~フランスで生まれた聖歌をめぐって~」が開かれます。

 

グレゴリオ聖歌がフランスの土地に根付く以前、メロヴィング朝時代のフランク王国ではガリア聖歌と呼ばれる地方聖歌が歌われていました。ピピン3世とその子シャルルマーニュによるガリア聖歌の廃止とローマ聖歌(グレゴリオ聖歌)への統一により、ガリア聖歌は消えてゆきますが、そのごく一部はグレゴリオ聖歌に取り込まれる形で今日まで継承されてきました。日々グレゴリオ聖歌を歌っているフランス人のカトリック司祭をお招きし、実際に曲を聴きながら、フランスで生まれた聖歌の源流に思いを馳せます。

 

www.1001patrimoines.com
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Jacqueline Chénieux-Gendron先生講演会「形態と不定形の弁証法は<美学>として成り立ちうるか? ―ダリ、マッソン、エルンスト―」【4月24日(金)】

4月24日(金)、ジャクリーヌ・シェニウー=ジャンドロン先生(CNRS名誉主任研究員)の講演会「形態と不定形の弁証法は<美学>として成り立ちうるか? ―ダリ、マッソン、エルンスト―」が開かれました。多数のご来場、誠にありがとうございました!

講演会「アントワーヌ・ヴォロディーヌの二つの小説をめぐって ―『無力な天使たち』と『骨の山』―」【1月13日(土)】

1月13日(火)、作家アントワーヌ・ヴォロディーヌ氏をお迎えし、朗読と対話行われした『無力な天使たち』『骨の山』をめぐ対話は、フランソワ・ビゼ氏(東京大学准教授)、『無力な天使たち』訳者の門間広明氏(本学非常勤講師)、そして会場からの声を交えて行われました