仏文の教員からのメッセージです♪
川瀬武夫先生からのメッセージ
Bon voyage!
川瀬 武夫
まさに嵐のなかの船出になりましたね。
フランスの近代詩には旅立ち=航海をテーマとする作品がいくつもあって、なかでもマラルメの「海の微風 Brise marine 」やランボーの「酔いどれ船 Bateau ivre 」あたりはよく知られていることでしょう。ただ私がいちばん好きなのはボードレールのそのものずばり「旅 Le Voyage 」と題された詩で、これは『悪の華』第2版の掉尾を飾る集中最大の詩篇です。
以下に、その末尾のふたつの詩節を私の試訳を添えて引用します。多くの方々にとって、フランス語の詩を原文で読むなんてたぶんこれが最後でしょうから、ちょっと食いついてみてください。
Ô Mort, vieux capitaine, il est temps ! levons l’ancre !
Ce pays nous ennuie, ô Mort! Appareillons !
Si le ciel et la mer sont noirs comme de l’encre,
Nos cœurs que tu connais sont remplis de rayons !
Verse-nous ton poison pour qu’il nous réconforte !
Nous voulons, tant ce feu nous brûle le cerveau,
Plonger au fond du gouffre, Enfer ou Ciel, qu’importe ?
Au fond de l’Inconnu pour trouver du nouveau !
おお 年老いた船長である死神よ、時が来た! 錨を上げよう!
この国はぼくたちをうんざりさせる、おお 死神よ! 船を出そうではないか!
たとえ空と海がまるでインクのように黒くても、
おまえもよく知るわれらの心は光で満たされている!
おまえの毒を注ぐがいい、ぼくたちをもっと元気にしてくれるように。
この火がわれらの脳髄を舐め尽そうとしている以上、ただひたすら望むのは
地獄でも天国でもかまわない、深淵の底へ飛び込むこと、新しさを見つけるために
〈未知なるもの〉の奥底に飛び込むことなのだ!
大文字ではじまる”Mort”を「死」でなく「死神」と訳してみました(これは抽象名詞を擬人化=擬神化するアレゴリーという中世以来の手法ですね)。そうすると思いがけないことに、死のウィルスの蔓延する修羅場と化したあのクルーズ船のイメージがにわかに湧き上がってくるではありませんか(笑)。すぐれた文学作品はつねに予言的であるというのはきっと鈴木雅雄先生も賛成してくださることと思います。
これから世間という大海に漕ぎ出していく皆さま! 年長者が年下に対して持っているかに見えるアドヴァンテージとは、そのぶん長く生きたというたんなる経験の蓄積の差にすぎません。ですから、新型コロナのパンデミックなどというかつて見たことも聞いたこともないような事態を前にすると、私のような年寄りはただ手をこまねいて怯えることしかできません。その点、経験がまるで役に立たない「未知なるもの」の脅威に立ち向かい、新しい世界のなかへ躊躇なく飛び込んでいけるのは若者たちの無謀な勇気だけなのですね。
そのように、皆さまが難破の危険をものともせず、後に残していく年老いた連中のことなど気にすることなしに、思い切って前に進んで行かれることをここに祈念いたします。
どうかよい船出を!
鈴木雅雄先生からのメッセージ
卒業生のみなさん
なんだか不思議なお別れになってしまいました。しかも考えてみると、恐ろしいことに多くの人とはもう一生会うことはないかもしれませんね。でもこれは特別こういう状況だからではなく、毎年卒業する人たちの前で挨拶をしながら思うことです。卒業式の日に、また会おうといって別れることがありますが、わりと多くの場合それは嘘になります。そしてそれは当然なのです。まともに生活していたら(まともな生活とは何かといわれると困るけど)毎日が大変でないはずがありません。誰でも今のことで精一杯だし、今のことを優先するのは誠実なことなのですから。
卒業シーンの出てくる物語はたくさんありますが、最近で印象に残っているのは、前から好きだった『湯神くんには友達がいない』というマンガの卒業式です。卒業生代表で挨拶をすることになった湯神君が、「もしも…時間を戻してやるから、もう一度高校生をやり直せと言われたら… もういいです!! お断りします!!!!!」というところがあって、いいなあと思いました。結果の出せた時間であってもそうでなくても、やるべきことをやれば、そういう感想になるでしょう。みなさんが大学で、心残りのない時間を過ごせていたらいいのですが。
ただいつか、仏文コースにいた時期のことを、何かの形で思い出してくれたら嬉しいとは思います。そして思い出すための条件は忘れることです。目の前のことで夢中になるうちに忘れてしまったことがふいに立ち戻ってくるときにだけ、思い出は可能になります。そして忘れられたものが思い出されるとき、それは必ず物語になるのです。物語は定義上現実とは異なっていますが、私たちは物語なしに生きることもできません。仏文で過ごした時間がいつか、みなさんが生きることを助けてくれる物語としてよみがえることがあるならば、こんなに嬉しいことはありません。
卒業おめでとう。幸せでいてください。
鈴木雅雄
瀬戸直彦先生からのメッセージ
ご卒業おめでとうございます。卒業式の中止という事態は9年前と同じですが,まさか2度もこんなことがあるとは思いませんでした。私が仏文コースを卒業したのはもう40年以上も前になります。大学院に進学するつもりで就職のことは頭にありませんでした。ところが,その頃は2月にあった修士課程の試験に落第してしまいました。100人近く受験して十数人が合格するという時代でした。フランス語はけっこう自信があったので,結果は青天の霹靂という感じで,一緒に受験した友人たちが合格したこともあり,つらいものがありました。そこで1年間は日仏学院に通ってフランス語をやり直そうと決意しました。朝倉季雄『フランス文法事典』を通読し,自分の知識がいかにいい加減だったか痛感しました。いまとなってはいい経験をしたと思います。みなさんのなかには,卒業後のことが意に満たず悶々としている方もいるかもしれません。私の例を思い出してください。
人生には,思ってもみなかったことがときどき起こるのでしょう。病気や事故など個人的な体験の場合もあるし,地震やウイルスによる疾病のような共通の経験もあります。だいたいは自分にとってつらいことです。ヘロドトスの『歴史』という書物はご存知ですか。世界史の知識としては知っているかもしれませんが,あんまり読まれていないようです。紀元前5世紀の歴史家によるペルシア戦争にまつわる見聞記です。これがじつに面白い。現在のブルガリアあたりにトラキア人という民族がいて,そのなかのトラウソイ族について書き記したところがあります。その地の人々は赤ん坊が生まれるとみんな泣くのだそうです。この子がこれからどれだけ苦しい思いをして生きていかなければならないのか,それを考えてその地の人は悲しむのです。
生まれてきて,ここまで育ったみなさんは,これからさまざまな(つらい)体験を何回も味わうことでしょう。トラウソイ族の人々が知っていたように,これは生まれてきた人間の運命ですから逃れられません。自分はいまこんなに苦しい思いをしているけれど,いずれ過ぎ去ることだ,と客観的に見つめられればいいですね。苦しんでいる自分を上のほうから見ているもうひとりの自分が育つことを期待しています。
オディール・デュスッド先生からのメッセージ
Chères étudiantes, chers étudiants,
Les félicitations que je vous adresse aujourd’hui pour la fin de vos études ne sont que virtuelles, mais elles n’en sont que plus chaleureuses.
Vos quatre ans à Waseda se terminent par une absence de cérémonie. Dommage, direz-vous ? Oui et non. L’impossibilité de vous rencontrer et de bavarder encore avec vous, peut-être pour la dernière fois, m’attriste, c’est vrai, mais je sens mieux, par cette tristesse même, combien j’ai eu de plaisir à rencontrer en classe vos regards, brillants ou ensommeillés, à vous voir sourire, ou soupirer, en m’écoutant : le souvenir de ces moments passés ensemble m’attendrit et me réconforte en cette période troublée.
Je souhaite que, pour vous aussi, le souvenir de ces années à Waseda, et particulièrement des trois ans que vous avez passés dans notre département, de tout ce que vous avez découvert, vu, lu, ou entendu, de toutes les expériences, amusantes ou agaçantes, que vous avez vécues, de tous les liens que vous avez tissés entre vous et avec vos professeurs, soient toujours un appui joyeux, solide et vivifiant. Bonne nouvelle vie !
Ô Rumeurs et Visions !
Départ dans l’affection et le bruit neufs !
(Rimbaud, Illuminations)
佐々木匠からのメッセージ
卒業されるみなさんへ
卒業おめでとうございます。
みなさんにかけることばをすぐに文章に起こせないのは、私自身が大学の卒業式というものに無縁だったからかもしれません。学部時代の卒業式は所用で出られず、修士課程のときは今年度と同じように卒業式が中止になってしまいました。とはいえ、早稲田の教員になって最初の卒業式までこのような形になるとは思いませんでしたが。
昨年4月に着任したばかりの私とみなさんが接する機会はそれほど多くはありませんでしたし、4年に進級するまでに計画的に単位を取得してきた人ほど授業で会うこともなかったように思います。なかには最後までことばを交わす機会に恵まれなかった方もいますね。それでも、まだ着任前のラーニング・アシスタントをしていた頃に毎週お弁当を持って会いに来てくれたり、ふらっとコース室に立ち寄ってくれたり、つたない授業に出てくれて授業後も立ち話に付き合ってくれたりと、本当にありがとうございました。午後の授業なのに(ときには6限の授業にさえ)寝坊して遅れて教室に入ってくるみなさんをかつての自分に重ね合わせ、なんだかくすぐったい気持ちでした。コース室で、教室で、みなさんに会えるのが楽しみでした。
さて、大学にしがみついている私が言うと説得力に欠けますが、生きていくのは実に大変です。感じ方はひとそれぞれですが、どちらかというとつらいことのほうが多いのではないでしょうか。今後は、学生時代には想像もしなかったような局面が待ち受けていることでしょう。本当にきつくなったとき、その状況を破壊したり、逃げ出したりしたければそれでもかまわないと思うのですが、カミュの『シーシュポスの神話』、『反抗的人間』にならって、そのなかで抗いつづけるというのも、ときには悪くありません。そうですね、私がそれを実践できているかはさておき(私はすぐにふさぎこみがちです)、歯を食いしばりながらその苦境を楽しんでみるのもたまには良いかなと思います。ぜひ、幸福なシーシュポスを目指してください。
心と体の健康には気をつけて。みなさんの幸せを祈っています。
早稲田仏文